サトノダイヤモンドのレースをリアルタイムで観たのは、2015年の有馬記念前日、阪神7Rの2歳500万下だった。
セレクトセールで高値で取引された馬だったことと平場戦での出走ということもあり、新馬戦を勝ったばかりで挑んだサトノダイヤモンドは単勝1.2倍の圧倒的な支持を集めていた。
レースでは中団でピタリと折り合い、直線に入ると逃げるクイーンズベスト、3番手から抜け出しかかるナムラシングンを無駄のない足捌きですいすいと交わし、上り33.9で1着。
この優等生のような、大人びた素軽い走りは「強さ」よりも「美しさ」を表現しているようで、レースが終わった後しばらくは次のレースに集中ができなかったことを覚えている。
サトノダイヤモンドが走ったレースのなかで、もっとも彼らしい素軽さが表現されていたのが3歳初戦となった「きさらぎ賞」。
新馬から素晴らしいパフォーマンスでの2連勝とは言え、重賞レースでも単勝オッズ1倍台の指示を受けたサトノダイヤモンドは3〜4角の下り坂で軽々とスピードを上げて前を捕らえ、直線はそのスピードの惰性だけで2着馬以下を突き放してしまった。
きさらぎ賞の勝利でクラシックへ出走するための十分な賞金を獲得し、結果だけではなくレース内容も上々なのだから、池江泰調教師も皐月賞へ向けて自信をもって送り出せるのだろうなどと考えを巡らせた。ただ、美しいという表現がぴったりくる軽やかなスピードの乗りは、クラシックのチャンピオンと言えるのかが不安点ではあった。
きさらぎ賞から皐月賞への直行が発表されたサトノダイヤモンド。弥生賞、スプリングS、毎日杯と次々とステップレースが終わり、皐月賞が近づくにつれ、あの力みのないふわりとして軽やかな走りは中山の2000mをすいすいと捲ってしまうのではないかというイメージが日毎に強くなっていった。
マカヒキやリオンディーズ、エアスピネルが相手なら、大人びたレースぶりで弱点の少ないこの馬が、その軽やかなスピードで2000mを押し切ってもいいだろう、と考えた。
皐月賞の日はリアルタイムでレースが観れないこともあって、サトノダイヤモンドの相手は田辺騎手の捲りに期待し◯ナムラシングンだけに。この◎→◯の馬単を前日に購入し、日曜日は用事を済ますために都内へと出掛けた。
18時過ぎに都内から帰途に着く電車の中で、JRAのHPにアップされた皐月賞のレースリプレイをスマートフォンから観戦した。「1000m通過58.4のハイペース」というアナウンサーの声に呼応するように逃げていたリスペクトアースを交わすMデムーロ鞍上のリオンディーズの動きを観て急な腹痛に襲われ、向正面でルメールに少し促されているサトノダイヤモンドの姿が画面に映ったときには脇の下に汗をかき始めていた。このハイペースではあの軽やかな走りが発揮できないのではないか、と思ったのも束の間、3〜4角でサトノダイヤモンドとナムラシングンが先頭を走るリオンディーズを捕らえる勢いで軽やかに捲り、その2頭の姿を観た瞬間に腹痛のピークが来て目をつむってしまった。
スマートフォンに挿したイヤホンから流れるディーマジェスティの名前とレースタイムを叫ぶアナウンサーの声から、サトノダイヤモンドが皐月賞に勝てなかったことは分かったものの、腹痛の波が押し寄せたり引いたりしながら少しずつ薄れていくなかで、どうしてチャンピオンとしての「強さ」を感じさせないあの美しく軽やかな走りに魅了されてしまったのかが分からないまま、そればかりが頭の中をぐるぐると回り続けていた。
ダービーが2016年もやって来た。
2016年は有力と目される馬が何頭もいて、「史上空前のハイレベルな世代」とも言われていた。確かに、ダービーの出走表を見ていても、ワクワクするようなメンバー。
ダービー当日は、混雑を避けるためにお昼過ぎに府中競馬場へ到着するように、最寄り駅のドトールコーヒーで時間調整をする。ブレンドコーヒーを飲みながら皐月賞のレースリプレイを視聴。サトノダイヤモンドが最後の直線でリオンディーズとエアスピネルを交わし、外からディーマジェスティとマカヒキに差される映像を確認する。きさらぎ賞から皐月賞までの間隔が少し開いていたとは言え、「強さ」の部分で足りなかったサトノダイヤモンド。ダービーの長い直線での末脚勝負になったときに、あの軽やかな走りだとまた何かに差されてしまうのではないか、と考えていた。
京王線に揺られて府中駅に着き、競馬場までいつものルートで歩き始める。◎はサトノダイヤモンドに決めた。あの「美しく軽やかな走り」をして誰かに差されてしまっても、2016年のダービーはサトノダイヤモンドのふわりとした軽さを堪能しようと決めたのだ。
ダービーのスタートが切られた。人混みと歓声の中で、ターフビジョンにいつものように淡々と走るサトノダイヤモンドの姿が映し出され、その走りを観ているだけでダービー馬に相応しいかは分からないけれど、◎を打ちたくなる馬だな、などと思っているうちにレースは直線に入っていた。
ルメール騎手のアクションに応えて、直線の坂下からいつも通りのふわっとした加速でサトノダイヤモンドが先頭を捕まえにかかり、内からエアスピネルが抵抗している間を割ってマカヒキが鋭く伸びているのを観て、「あ! やっぱり差されるの?」と声を上げてしまった。
マカヒキに交わされた後で、しぶとく食らいつこうとしているサトノダイヤモンドは差し返すことはできずにそのまま2着。
サトノダイヤモンドはダービーでもいつも通りのレース。
レースの距離、コース、ペースが異なっても、直線先頭に立つ、あるいは立とうとする走りを私たちに見せる。正確に言えば、「軽やかな加速力」があるために4角や直線で前を走る馬をふわりと捕らえてしまう。あまりにもパワーを感じさせない走りだからより「強さ」が際立たず、ふわりと先頭に立ってしまって後ろからマカヒキやディーマジェスティに差されてしまうことだってあるのだ。
それはチャンピオンではなくても、チャンピオンを目指したチャンピオンらしい走りと言える。着順としては1着ではないのだけれど、「ナンバーワンになろうとするための走り」なのだ。
サトノダイヤモンドにダービで◎を打つのは、ダービー馬として相応しいと言うよりも、ダービー馬を目指す走りをこの馬なら体現してくれるだろうという安心感がそこにはあったから。
結果として2着に敗れたとしても、チャンピオンを目指すための走りはできたサトノダイヤモンドの2016年東京優駿だった。
サトノダイヤモンドは無事に夏を越して、クラシック最終戦の菊花賞と暮れのグランプリ有馬記念を連勝してGⅠタイトルを獲得した。
現在、メディアでは「現役最強馬」と称する声も多数あって、今年の秋には凱旋門賞参戦のプランももち上がっている。
サトノダイヤモンドの走りは相変わらずで、どこの競馬場でも大人びた走りで、スピードに軽やかに乗り、美しいフォームでターフを駆け抜ける。
これから、さらにいくつかのGⅠを勝つかもしれないし、いくつものレースで敗れるかもしれない。
ただ、いつもチャンピオンホースらしい走りを見せてくれることだけは間違いがない。
2017年3月19日、サトノダイヤモンドは「阪神大賞典」に出走を予定している。阪神の内回りコースなのだから、中山で見せた皐月賞や有馬記念のようにふわりとした美しい捲りをまた見せてくれるものと期待してーー